我が家

カメちゃんが家族に加わったわけだけど、実はこの時には何にも感じてはいなかったんだけど、このカメちゃんとの[ご縁]こそが、三十年程のちの現在に大きな[幸せ、財産]を残してくれる事となろうとは…。

 

我が家は祖父が戦後にこの地に移り住み、当時存在した阿弥陀堂に住居を構えて、得度をして僧侶となり阿弥陀堂を守りながら、地域のご供養、法要事などのお手伝いをしながら生活をしていた。

後に阿弥陀堂地震により倒壊したものの、ご本尊は今も大切にお守りしている。

阿弥陀堂の再建は地域の方々との話し合いの結果、再建には至らなかったが、父も後に得度して僧侶となった。

そう、我が家は「お寺さん」なのです。

カメちゃんが我が家に来た頃は、僕は18か19歳だったかな…。

当時は若気の至りでちょっと尖がって、世の中を斜めに見てたかな…。

勿論、父の跡継ぎと言う周囲の期待にも「絶対、それは無い!」と頑なに主張していた。

当時はバブル景気に沸き、我々若者には今考えると考えられないような条件の仕事もゴロゴロしていたので、芸能関係の仕事をしたり、探偵をしてみたり、トラックやダンプに乗ってみたり、興味ある仕事は一通り経験した。

そんな勝手気ままな生活に、彼女が出来ても次々と見切りをつけて去って行く。

それが未だ独身の原因。

因果応報。

それでも独身であるが故に出来た[経験]は、今でも財産であるとは思っている。

確かにバブルの頃は仕事はいくらでもあった。

収入はとにかくあったが、皆んな眉間にシワを寄せながら働く姿は、明らかに大切な何かを犠牲にしているのは明らかだった。

僕も同様に「心」を犠牲に、とにかく目の前の仕事を一つ一つ片付けるのに精一杯だった。

「こんなに心を犠牲にしてまでお金を稼ぐ意味って何なんだ…。」と自問した。

当時はトラックの仕事を見ていても、稼ぎたい者は寝る間を惜しんで走る。

そして、居眠り事故…。

悪循環である。

収入と心は反比例なのだと、この時学んだ。

そして家に帰ると、カメちゃんを眺めながら「お前はこの中でゴソゴソしてるだけで刺激もなく、退屈してないか?たまには外でおもいっきり散歩したくないか?」と疑問を投げかけたものだった。

何事もさじ加減(バランス)が大切なのだ。

そんな浮かれ上がった、この日本の世の中の社会に出てまだ間もない僕にとっては、この状況が永遠に続くのか不安であった。

この心が、状況が耐えられるか自信がなかった。

しかしバブル景気はやがて泡となって消えていった。

そこには少しホッとした自分がいた。

そしてカメちゃんは何事もなかったかの様に、僕たちの顔を見るたびエサをせがんだ。