新しい自分 その弐
ボクシングとの出会いのおかげで、徐々に自分らしさを取り戻すと、やがて自分の中で決めた[会社との決別]の日が近づいて来た。
ある日[奴]が僕に言った。
「他のところに行っても、世の中いろんな奴がいるから負けるなよ。」
そんな思いも寄らない言葉に、複雑な想いが駆け巡った。
お前の虐めに耐えた僕への、せめてもの慰めの贈る言葉なのか…。
それともあれが不器用ながらの教育のつもりだったのか…。
「お前に言われたくないわぁ~!」と、
突っ込みたくなるようなセリフだが、苦しみの出口が見え始めた僕には不思議とエールに感じた。
会社には予め退職の旨は伝えておいたので、円満な退職となり送別会も用意してくれた。
「我慢して良かった。」
そう思った。
心の中の嵐が去ると、今まで頑なに拒否し続けて来た仏門への関心が、少しづつではあったが頭を持ち上げ出していた。
「仏教の中に、心の平穏があるのではないか…」
ひどく疲れた僕の心を、癒やしたかったのかもしれない。
今まで背中を向けてきた「僧侶の跡継ぎ」という現実と向き合うのは、今が絶好のタイミングでもあった。
ほどなくして僕は、我が家の菩提寺であるお寺にお世話になり、仏教の勉強やお経の勉強の修行に勤しむようになっていった。
新たな修行が始まったが、ボクシングの練習だけは続けた。
「新しい自分と出会いたい」
そう思った。
新しい自分
ボクシングの練習生となったわけだが、
全てが一からのスタート。
スタミナもリズムもあったもんじゃない。
それでも練習を続けていると、新しい自分を見つけられる気がした。
毎朝のロードワークで走る距離も徐々に増えていった。
練習が辛いときは、[奴]の顔を思い出しては動力へと変換した。
頭の先からつま先まで、汗にまみれて練習に没頭していると、心からの爽快感を味わえた。
そんなボクシングライフに没頭し出してからというものは、不思議と[奴]の僕への当たりが少し変わって来た。
友好的な匂いを感じると言うか…。
それでも僕の心は決心していたので、もうどうでも良かった。
とにかくあと1年我慢して、この会社は辞める。
ただそれだけ。
そんな事より、ボクシングライフが楽しかった。
と同時に、ジムで練習するまだ学校を卒業したばかりのような若い子を見ていると、
「僕ももっと若くからボクシングと出会っていたらなぁ…。」と若い練習生の動きに嫉妬した。
僕はこの時すでに、24か25歳位だったかな…。
「まぁ、僕なりに頑張ってみよう。」
少しばかり元気を取り戻し始めると、カメちゃんの事が急に気になり出した。
長い苦しみの間、カメちゃんの水槽を覗く元気すらなく久しぶりの対面であったが、僕が覗き込むとエサでも欲しいのか、僕めがけて走ってくる姿に笑みがこぼれた。
祭りのあと…
バブル景気が終わりを告げると、我々の仕事量は激減し、やがてリストラの風が吹き始めた。
そしてその風に、僕も飲み込まれて行った。
業務縮小となり自分の居場所を無くした僕は、自ら退職を願い出て新天地を探し始める事になった。
そして次にお世話になった会社で、僕にとって初めての経験となる[いじめ]を体験する事となった。
そこの会社での、キャリアの最も長い役職付きの男だったが、とにかく怒鳴る、そして睨みをきかせては威嚇する…。
入社初日からそうだった。
今思い返すと、映画でよく見る鬼軍曹のようだった。
正直、初日から嫌になったが、逃げるのは嫌だったから我慢した。
怒鳴られ、否定され、薄ら笑いを浮かべられながらも歯をくいしばった。
そんな日々が続く中、徐々に笑顔は消え失せて、生気を失って行った。
これは今まで調子づいていた自分への戒めなんだと思えば少し気も楽にはなったが、それでもその男には憎しみが湧いた。
同僚から同情の言葉を貰う事もあったが、皆その[番長]には気を使っているのは明らかだった。
ついに鬱状態に突入すると友人たちからは、早く辞めた方がいいと勧められた。
それでも今辞めれば[奴]の薄ら笑いが眼に浮かぶから、それは拒否し続けた。
安定剤を飲みながら、なんとか1年が過ぎようとした頃、奴が僕にこう話した事があった。
「俺はなぁ、この会社に入った時にある男にいじめられてなぁ…。もうそいつはこの会社には居ないが、俺にとっては修行だった。それでも俺はずっとここに居る。今の若い奴らじゃ耐えられないだろうな。」
どうしてそんな話を僕に切り出したのか、真意は謎だがどうでも良かった。
そして風向きが少し変わり始めた。
新しい人が入社して来たのだ。
そよ風が僕をやさしく撫でてくれたような、そんな安心感に包まれた気がした。
お互いに気持ち良く挨拶を済ませると、話も合いそうだし一筋の光が射した。
「何かあったら何でも話してね。話を聞いてあげるから。よろしくね。」
僕は精一杯の気持ちを込めて、そう伝えた。
彼はその時、おそらく深くは考えずに僕の言葉を受け取ったと思う。
それから3日ほどが経ったろうか、朝出勤するとその新入社員が辞めた話題が上がっていた。
理由は聞かずともわかった…。
その場にいた[奴]が言った。
「ふん!根性も無い奴が!俺はこいつは続かんなと思ったけどな!」
と吐き捨てた。
一瞬、ギリギリの境界線で耐えしのんでいる自分に対しての褒め言葉のようにも感じたが、この男のやり方は明らかに違うと感じた。
厳しさの中にでも愛情は無くてはならない。
その愛情のかけらさえも、見つける事が出来なかった。
そして同じ事がまた繰り返された時、自分の中でやっと吹っ切れた。
「もう1年我慢して辞めよう。そして辞める時、悪態をつかれたらブン殴ってやるか。」
そう思ったら、気持ちが少し軽くなった。
「待てよ…。ぶん殴るって言ってもネコパンチじゃカッコ悪いし、想いを込めたパンチを奴にお見舞いするにはボクシングを学ぶしかない!」
安易な考えではあるが、僕はボクシングジムの扉を叩く事となった。
それが僕を、考えもしなかった方向に導く事となる…
我が家
カメちゃんが家族に加わったわけだけど、実はこの時には何にも感じてはいなかったんだけど、このカメちゃんとの[ご縁]こそが、三十年程のちの現在に大きな[幸せ、財産]を残してくれる事となろうとは…。
我が家は祖父が戦後にこの地に移り住み、当時存在した阿弥陀堂に住居を構えて、得度をして僧侶となり阿弥陀堂を守りながら、地域のご供養、法要事などのお手伝いをしながら生活をしていた。
後に阿弥陀堂は地震により倒壊したものの、ご本尊は今も大切にお守りしている。
阿弥陀堂の再建は地域の方々との話し合いの結果、再建には至らなかったが、父も後に得度して僧侶となった。
そう、我が家は「お寺さん」なのです。
カメちゃんが我が家に来た頃は、僕は18か19歳だったかな…。
当時は若気の至りでちょっと尖がって、世の中を斜めに見てたかな…。
勿論、父の跡継ぎと言う周囲の期待にも「絶対、それは無い!」と頑なに主張していた。
当時はバブル景気に沸き、我々若者には今考えると考えられないような条件の仕事もゴロゴロしていたので、芸能関係の仕事をしたり、探偵をしてみたり、トラックやダンプに乗ってみたり、興味ある仕事は一通り経験した。
そんな勝手気ままな生活に、彼女が出来ても次々と見切りをつけて去って行く。
それが未だ独身の原因。
因果応報。
それでも独身であるが故に出来た[経験]は、今でも財産であるとは思っている。
確かにバブルの頃は仕事はいくらでもあった。
収入はとにかくあったが、皆んな眉間にシワを寄せながら働く姿は、明らかに大切な何かを犠牲にしているのは明らかだった。
僕も同様に「心」を犠牲に、とにかく目の前の仕事を一つ一つ片付けるのに精一杯だった。
「こんなに心を犠牲にしてまでお金を稼ぐ意味って何なんだ…。」と自問した。
当時はトラックの仕事を見ていても、稼ぎたい者は寝る間を惜しんで走る。
そして、居眠り事故…。
悪循環である。
収入と心は反比例なのだと、この時学んだ。
そして家に帰ると、カメちゃんを眺めながら「お前はこの中でゴソゴソしてるだけで刺激もなく、退屈してないか?たまには外でおもいっきり散歩したくないか?」と疑問を投げかけたものだった。
何事もさじ加減(バランス)が大切なのだ。
そんな浮かれ上がった、この日本の世の中の社会に出てまだ間もない僕にとっては、この状況が永遠に続くのか不安であった。
この心が、状況が耐えられるか自信がなかった。
しかしバブル景気はやがて泡となって消えていった。
そこには少しホッとした自分がいた。
そしてカメちゃんは何事もなかったかの様に、僕たちの顔を見るたびエサをせがんだ。
出会い
カメちゃんとの出会いは、今から遡る事30年程前。
今は亡き父が、道を横断中のカメちゃんを、車に轢かれてはいけないと思い拾って来た子だった。
当時は今みたいにインターネットも無く、カメの種類やオスかメスかも簡単に調べられるような環境ではなかったので、とりあえずは色は黒いから日本のカメなんだという認識だけで、小さい水槽を用意してガレージの入り口に水道があったから、そこにカメちゃんのお家を構える事にした。
それ以来小さいお家の中から、コトコトとカメちゃんの散歩する足音が僕たちの癒しになっていった。
はじめまして
この度は、僕の飼っていたカメちゃんとの悲しいお別れまでの回顧録や、その後の不思議なスピリチュアルな出来事をブログにして残して行こうと思います。
ペットロスに苦しんでいる方々や、僕のブログにご縁があった方々にとって、何かしら伝わったら嬉しいです。
優しい気持ちで読んで頂けると嬉しいです。